徹底解説!なぜクリスマスにサンタクロースなの?

前の記事でクリスマスの12月25日は本当にイエスキリストの誕生日かどうかわからないという話を書きましたが、日本人にとってクリスマスと言えばまず「サンタクロース」でしょう。
はキリストの誕生日になるとどうして「サンタクロース」はプレゼントを持ってくるのでしょうか。そもそも赤い服のおじいさんの「サンタクロース」っていつ何をしたどういう人なのでしょうか? そういうことについて意外とまとまって読める文章は少ないので、今回は「サンタクロース」について書いてみます。

聖人って何?

サンタクロースはミラノのニコラウス(270年-345年)というキリスト教で言うところの聖人に列せられた人物がモデルになっています。
この聖人という考え方が欧米のキリスト教徒にとってはとても重要な概念です。
もともとキリスト教は古代ユダヤ人の信仰していたユダヤ教の信仰が元になってできたものです。ユダヤ教はエホバといわれる唯一絶対の神のみを信仰する宗教でしたが、ユダヤ教ではこの唯一絶対の神のみを信仰の対象にすること、そして、仏像のようにそのエホバの像を作って信仰の対象にすることを厳しく禁じたのが大きな特徴でした。

しかし、このユダヤ教を信仰していたユダヤ人の中からイエスという宗教的リーダーが現れ、彼の弟子たちがイエスこそ神が人々を救うために神が人の形をとって現た者と主張することで今日のキリスト教がユダヤ教から分かれ世界に広がっていったのです。ちなみにこのキリスト教のもととなったユダヤ教も今日まで残っています。

でも、実際にキリスト教が広まっていく途中でその教義をきちんと理解して信者になった人はごく僅かでした。一般の民衆は領主や国王によって政治的事情で強制的にキリスト教に改宗させたというのがほとんどでした(どの宗教でも同じようなものですが)。

当時のヨーロッパではキリスト教の国教化に消極的な国に対して、すでに国教化した周辺の国々の連合軍が十字軍という名称で異教徒の殲滅を口実に侵攻してくるのも珍しくなかったので、改宗させるのも命がけだったのです。

キリスト教には改宗の儀式として水に体を浸す洗礼というのがありますが、役人や領主が無理やり一般の人たちを川辺に連れ出し司祭がお祈りする中、川に突き落として「はい、洗礼しました、今日からあなたはキリスト教徒です!」というのもよくあったそうです。

そうしてキリスト教に無理やり改宗させられても、古代から中世にかけてのヨーロッパでは文字を理解していた人は教会関係か、一部の上流階級のみで、一国の王でさえも文字が読めないということが珍しくありませんでした。

今日フランス・ドイツ・イタリアに当たる地域を征服し現代ヨーロッパの元を築いたとして世界史の教科書にも必ず出てくるカール大帝も字が読めなくて臣下に字を読んでもらっていたそうです。

しかも字を知っていても聖書は自国語で書かれていませんでした。ルターが宗教改革の一環として14世紀にドイツ語に翻訳するまでラテン語という古代ローマで使われた言語か古の代ギリシャ語で書かれており、祈祷もラテン語で行われていたので、そういう古代の言語を知っているごく限られた人しかキリスト教の教義を知らなかったのです。

そんなふうによく知らないキリスト教の信仰を押し付けられた古代~中世のヨーロッパの人々は大変に困りました。

キリスト教以前のヨーロッパの人々には日本人の八百万の神のようにいろいろなことにいろいろな神様がいて、人々の日常の悩みに応えてくれていました。

たとえば日本でもよく知られているギリシャ神話では主神ゼウスをはじめ海の神ポセイドンとか豊穣の女神デメテールとか酒の神バッカスとかいろいろな分野にいろいろな神様がいました。

近代以前は医学をはじめ科学が未発達な分だけ、今日の私たちが考える以上にこうした神さまに頼る局面は多かったわけです。

しかしキリスト教の唯一絶対の神はイエスさまを遣わして人々を天国に導いてくれますが、病気になったとか、今年は豊作になってほしいとか、商売がうまく行くようにとか、両想いになれますようにとか、そういった日常生活で生まれる細々とした悩みにはさっぱり答えてくれません。

そこで妥協として生み出されたのが聖人という考えです。聖者というのは殉教したり様々な困難に耐えて信仰上の模範になったと教会が認めた人のことですが、さらにある特定の聖人が個人や地域や団体を守っている守護聖人という考え方がキリスト教にはあり、これが日常の悩み事を聞いてくれる信仰の対象になってきました。

たとえば日本でも有名な聖人の一人に聖ヴァレンティヌスがいます。頭の「聖」は日本語で聖人であることを示すものですが、察しの良い方はすでにお分かりの通りバレンタインこと聖ヴァレンティヌスは恋人たちを守る守護聖人に加えられています。 そしてヴァレンティヌスが亡くなった毎年2月14日が皆さんも大好きなその聖人の祭日セントバレンタインデーになります。

その他にもいろいろな職業にもいろいろな聖人がいます。目についたところをWikipediaから上げてみます。

ジャンヌ・ダルク 軍人
シチリアのアガタ 看護婦
エウスタキウス 漁師
セビリアのイシドロス コンピュータプログラマー
ヌルシアのベネディクトゥス 農夫
聖アントニウス 養豚者、ドライバー

こうした聖人はそれぞれ由来となっている話が必ずあるので興味があれば調べてみるとよいと思います
あと国や地域を守る聖人というのも存在します。

ボニファティウス ドイツ
ジャンヌ・ダルク フランス
ゲオルギウス イングランド・モスクワ・グルジア
ヤコブ スペイン
ベネディクトゥス ヨーロッパ全体
聖パウロ ロンドン・ローマ・マルタ
クリストフォロス ライン川

国や都市どころか川やヨーロッパ全体といったものまで、聖人がいて日本の八百万の神並みです。
もちろん日本も守護聖人がいて、それが日本人にキリスト教をもたらしたことで日本史の教科書にも必ず出てくるフランシスコ・ザビエルです。他にもザビエルは オーストラリア、中国、ニュージーランド、東インド諸島、ボルネオといったザビエルが布教した地域の聖人にもなっています。中には守護聖人そのものが国名や都市の名前になっているケースもあります。

サンフランシスコ アメリカ合衆国 聖フランシスコ
セントルイス アメリカ合衆国 聖王ルイ
サンタモニカ アメリカ合衆国 聖モニカ
サンクトペテルブルグ ロシア 聖ペテロ
サンパウロ ブラジル 聖パウロ

欧米の地名で「セント」「セイント」「サン」とつく地名は守護聖人にちなんで付けられているケースがほとんどです。特に人工的に作られた都市や大航海時代に発見された島は多いですね。
あと需要なことと言えばキリスト教徒は聖人の祝日と誕生日が一致したということで個人の名前も聖人にちなんで付けられることが多いです。欧米の人の名前でマリアとかジョンとかポールとか一定の傾向があることはそのためです。
ただ、聖人由来の名前はそれぞれの言語で言いやすいように改められていますが、元になっているラテン語の名前があります。

ラテン語 ヨハネ カタリナ パウロ マリア
英語 ジョン  キャサリン  ポール  メアリー
フランス語 ジャン カトリーヌ ポール マリー
ドイツ語 ヨハネス カタリナ ポール マリー
イタリア語 ジョバンニ カタリナ パウロ マリーア
ロシア語 イワン エカテリーナ パーヴェル マリア
スペイン語 フアン カタリナ パブロ マリア

この表を覚えるだけで西洋史がかなり苦痛でなくなります。

ミラのニコラウスからサンタクロースへ

ミラのニコラウスからサンタクロースへでは、サンタクロースのもとになったミラのニコラウスはどういう聖人でしょうか。
彼は今はトルコになっている小アジアの出身で、学識で名高く異端からキリスト教を守った功績で教会から聖人に認定されたわけですが、同時に苦しんでいる弱い人々を助けた逸話が多数残されていることでも有名な聖人です。
たとえば、あるきっかけでニコラウスは、貧しさのあまり三人の娘を身売りしなければならなくなる家族の存在を知りました。そこでニコラウスは真夜中にこっそりその家を訪れ、窓から金貨を投げ入れました。
このとき暖炉には靴下が下げられていており、金貨はその靴下の中に入りました。この金貨のおかげで三人の娘は無事身売りの運命を免れて結婚できたそうです。この話がクリスマスに靴下を下げる起源になっています。また子供を誘拐して商品にする肉屋に行き、7年塩漬けにされた7人の子供を復活させ助けたという話から子供の守護聖人にされています。

これらの逸話からミラのニコラウスの祭日つまり亡くなった日である12月6日が子供たちにプレゼントする日となったそうです。
その習慣は今でもロシアや東欧など正教会の国々では残っていて、12月6日に子供たちにプレゼントがあるそうです。また、ミラのニコラウスは暴風雨を沈め、海に落ちて死んだ船乗りを復活させたという言い伝えから船乗りの聖人でもあるため、彼の祝日を祝う習慣は海運が盛んなオランダやベルギーのフランデレン地方でも盛んで、この二つの国々ではなんとクリスマスである12月25日とミラのニコラウスの祝日の12月6日の両方に子供たちはプレゼントをもらえるそうです。
実は今日のサンタクロースの起源は、この、オランダのミラのニコラウスを盛大に祝う習慣が起源になっています。
かつてオランダは今日のニューヨークのマンハッタン島を植民地として支配していました。その後、1664年の英蘭戦争でイギリスの支配下になり、その後アメリカ合衆国として独立しても、オランダ植民地時代に移住したオランダ系移民の子孫は繁栄し続け、やがてその中から大統領を輩出したルーズベルト家のようなアメリカの名家も生まれました。
そんなオランダ系の人たちは海を渡ってきたこともあって、アメリカでも船乗りの聖人であるミラのニコラウスの記念日を盛大に祝う習慣もそのまま続き、他の民族に広まっていったのです。そのため英語のセイント・ニコラス(聖ニコラス)ではなく、オランダ語で同じ意味のシンタ・クラースがミラのニコラウスのアメリカでの名称になっていき、それが訛ってサンタ・クロースになったのです。その名称はコカ・コーラがコマーシャルで使うようになってから世界に広まっていき、やがてクリスマスの伝統のない日本でもサンタクロースと呼ばれるようになったわけです。

でも、ここまで読んで一つ疑問に感じたことはありませんか? ミラのニコラウスがサンタクロースのもとになったことは分かった、でもミラのニコラウスは今でいうところのトルコの出身なのに、どうしてトナカイにひかれたソリに乗ってやってくるの?
実は名前の起源こそミラのニコラウスになっていますが、キャラクタの元はゲルマンやスラブやケルトなどヨーロッパ北方の諸民族がキリスト教の伝来以前に信じていた神の名残なのです。これらの民族はキリスト教の伝来以前から共通して毎年12月25日付近の冬至を祝う祭りを行う習慣を持っていましたが、そのとき北から寒気をつれてやってきて、よい子にプレゼントする気前のいい白髪の老人の姿の神さまが共通して存在していたのです。それには、たとえば北欧ならばノーム、イギリスならばファーザークリスマス。ロシアならばジェフマロースと民族ごとにいろいろな名前がついています。その白髪の老人の神さまがキリスト教伝来後に、子供を守る聖人であるミラのニコラウスと融合して、サンタクロースと名を変えて世界に広まっていったのです。

クリスマスはなぜ12月25日になったの?

 毎年12月25日に日本でも盛大クリスマスというとキリスト教の開祖であるイエス・キリストの誕生日であることは、キリスト教徒の少ない日本でも常識だといっていいと思います。

本当はいつ生まれたかわからないイエス

 でも、本当にイエスがいつ生まれたかは、実ははっきりしたことは分からないのです。聖書のどこにもイエスの生年月日に関する記述はなく、また聖書以外に日本でいえば戸籍や住民票のような同時代のイエスに関する記録も存在しないためです。
そのためイエスキリストは自分の教えを代弁させるために聖書の作者が創作した架空の人物だとという説を唱えている学者もいますが、その一方で聖書の記述をもとにいつイエスの生まれたか推定しようとした学者も大勢います。

イエスの誕生

 聖書によると、当時、イエスの生まれたパレスティナの地はローマ帝国によって任命されたヘロデ大王によって支配されていたのですが、イエスが生まれたのと時を同じくして東から占星術の学者たちが、新たな「ユダヤ人の王」が生まれたことがわかったと首都エルサレムに尋ねてきました。
そして彼らよりこの話を聞いて、新たな「ユダヤ人の王」が自分にとって代わるかもしれないと疑心暗鬼にかられたヘロデ大王は、その「ユダヤ人の王」がベツヘレムに生まれたことをつきとめ、ベツヘレム周辺の2歳以下の男子を虐殺することを命じました。
この時、イエスとその家族は天使に促されるままにエジプトへと逃れたため、虐殺を免れることがで来たのですが、さらに安全のためにヘロデが没するまでそちらで過ごしていたということです。
この話はイエスがいつ生まれたか知るのにとても重要です。これでイエスはヘロデ大王が亡くなる前に生まれていて、しかも亡くなったあとで3歳になったことが確定できるのです。ヘロデ大王が亡くなったの紀元前4年であることは突き止められているので、紀元前4年~紀元前7年の間ということは学者の間でも意見の一致を見ているようです。つまりイエスが生まれたのは西暦1年より4年から7年程度前になるということです。

エクシグスが決めた西暦の始まり

 しかし、少し歴史に詳しい人なら西暦1年はキリストが生まれた年を起点に決められたということを知っています。日本ならば弥生時代の後期、中国ならば漢王朝に当たる古代の事と言っても、これはおかしいですよね。
最初に西暦1年を決めたのはディオニュシウス・エクシグウス(470年頃-544年頃)という今のブルガリアのドブルジャに生まれたキリスト教の神学者です。
イエスが十字架に掛けられて亡くなった後に復活したことを祝う復活祭(イースター)が、実はキリスト教にとって一番重要な行事なのですが、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世(227年-337年)がキリスト教を公認した際に教義や行事の帝国内での統一を図るために325年に各地の教会の司教を招集したとき、この復活祭をいつ行うかが重要な議題の一つになりました。それで後で第一回ニケア公会議と呼ばれることになるこの会議において「3月21日から満月の日を過ぎたあとの最初の日曜日」と月の運行を元にして決めることが決定されました。
でもヨーロッパ世界ではローマ帝国の支配によって当時すでにユリウス暦と呼ばれるユリウス・カエサルが作った太陽暦を使っていたために、月の運行と太陽の運行がかみ合わず、どうしても月の運行に合わせた復活祭は毎年移動する祝日になってしまいます。現在はグレゴリオ暦と言われるユリウス暦に太陽の運行から見て更に精度の高い暦がヨーロッパ世界を含む世界全体で使われていますが、復活祭は今でも移動する祝日になっています。そしてキリスト教の行事は復活祭から何日目というふうにいつ行うか決まっていたので、正確な復活祭の日を求めそれを記載した教会暦をつくることはキリスト教徒にとって大きな問題になっていたのです。
エクシグウスはいくつかの発見を行い、より正確な教会暦を提唱したのですが、その中で年の起点を何にするかという問題が持ち上がってきました。
ユリウス暦ではうるう年や歴法と呼ばれる暦の計算方法は決めていましたが、何年を起点として年を計算するかを定めた記年法を使うかは決めていなかったので、ローマ帝国建国(紀元前753年)を元年とするローマ帝国歴や、歴代ローマ皇帝の即位を元年とする元号など、古代ヨーロッパの人は統一されることなくいろいろな記年法を使っていました。
でも、西ローマ帝国の滅亡とキリスト教の普及とともにヨーロッパ世界ではキリスト教徒を迫害したローマ皇帝ディオクレティアヌスのキリスト教徒迫害によって多くの殉教者が出たことを祈念し、ディオクレティアヌス帝の即位した年(284年)を起点とするディオクレティアヌス紀元が使われるようになってきました。
しかしエクシグウスはこのキリスト教徒を迫害したことで悪名高いディオクレティアヌス帝の名前を教会歴に残すことに反対し代わりにイエスの生誕の年を紀元1年とすることを提案しました。そこでエクシグウスは、十字架にかかった後にイエスが復活したのが3月25日日曜日で、その時イエスが30歳だったという当時の最新の聖書研究の成果をもとに算出したイエスが誕生した次の年を紀元1年として確定しました。それは525年のことでした。
しかし、この時点の聖書研究の成果によるキリストの誕生年は今日から見て不正確なものなので、今日見られるような4年から7年程度のずれの原因になりました。
ただ、一度決まった起点の年を、不正確な計算だからと言ってカレンダーを後で修正するとことは不可能です。仮に狂信的なキリスト教信者たちが「イエス様の誕生が実は4年早いのに不正確な暦を使っているのはイエス様を冒涜していることだからもう一度来年を2015年にしろ! しないと世界を核兵器で破壊する」というような脅迫を行って、それに屈した世界の国々でカレンダーを4年前に戻すようなことが実行されたら、同じ年が2度来ることになって大混乱になることは目に見えていますよね。
それに毎年の復活祭の日付を決めることに比べたら誕生年はあまりキリスト教徒にとって信仰上重要な問題ではないので、西暦が世界に広まるととも、その誤差も日本や中国のようなキリスト教信者の少ない国も含む世界に広まっていったのです。

コンスタンティヌス1世が決めた12月25日

 ここまでイエスが生まれたのが紀元1年に決まった経過について書いてきましたが、12月25日になぜ決まったのかというと、これは、先に325年にコンスタンティヌス1世が招集した第1回ニケア公会議の中で復活祭の日付が決定されたと書きましたが、それと同時にクリスマスイエスの誕生日も12月25日と決定されました。
ここで同じ第1回ニケア公会議で決定された日程なのに復活祭は「3月21日から満月の日を過ぎたあとの最初の日曜日」と月の運行を元に決められている移動祝日であるのに対して、クリスマスは12月25日に固定されたのかという疑問を持たれる方も多いと思いますが、実はこの違いはキリスト教の起源に深くかかわる問題に根差していて、それだけでも長い話になるのですが、最近日本でも復活祭もイースターという名称で祝われるようになってきたので、それについて書くときに触れることにして、ここではなぜ12月25日にクリスマスを祝うようになったかということだけ触れておきたいと思います。
といっても、もともと聖書にイエスの誕生日に関する記述もないことがあって、12月25日に決まった明確な経緯は分かっていません。ただ確実なのはこの12月25日はもともとキリスト教以前にローマ帝国領内で広まっていたミトラ教という宗教の重要な祝日であったことです。
ミトラ教は太陽神ミトラを崇拝する古代ペルシャ起源の宗教です、ミトラは毎年冬至の日に生まれ変わるとされ、12月25日はそのミトラの生まれ変わりを祝う日でした。
やがてミトラ教はキリスト教に押されてヨーロッパ世界から姿を消していくのですが、コンスタンティヌス1世がキリスト教を公認した時点ではまだ強い勢力を持っていて、キリスト教信者の母を持ったコンスタンティヌス1世もミトラ教に信頼を寄せていました。それで聖書には書かれていないイエスの誕生日を12月25日に無理やり確定することでミトラの生代わりにイエスの誕生を祝うというミトラ教徒との一種の妥協が成立したのです。このコンスタンティヌス1世の妥協はキリスト教の普及にとって後々大きな成功を収めることになります。
ミトラ教は主に中東や地中海沿岸に広まっていたのですが、ゲルマン人やケルト人など今日のドイツやイギリスや北欧諸国に住む北方民族のキリスト教以前の宗教にも冬至を祝う行事があり、12月25日をイエスの誕生日として祝うことはキリスト教への妥協として容易に受け入れられやすかったのです。こうしてクリスマスはキリスト教の行事としてヨーロッパ諸国に広まっていきました。

よみがえる旧暦のお正月

正月の年賀状の賀詞というと「新春のお慶びを申し上げます」「謹んで初春のお慶びを申し上げます」「謹んで新春のご祝詞を申し上げます」といった「新春」が入ったものが多いですね。
では、なぜ正月の賀詞に「新春」が入るのでしょうか。少なくとも日本ではお正月になる1月の上旬といえばまだ、春どころか冬の寒さもまだまだ本格化していく最中のところで、それでなぜ春なのか疑問に感じたことは誰もが一度はあると思います。
その理由を一言で言えば明治維新以前に日本人が使っていた旧暦と、維新後から今日に至るまで日本人が使っている新暦ことグレゴリオ暦とのズレです。元旦を祝う風習は維新以前からあったものですが、グレゴリオ暦に合わせて行うために実際の季節の移り変わりとは関係ないものになったのです。

グレゴリオ暦

 グレゴリオ暦はもともとはキリスト教で一番重要な行事であるイースターの日取りを決めることが目的として決められたものです。イースターは最近、日本でも春を祝う行事として祝われるようになってきましたが、日付が固定でなく春分の日から二回目の満月の日がイースターになります。この計算の起点になる春分の日が毎年三月二十一日ごろになるように定められたのがグレゴリオ暦です。ちなみに春分の日つまり太陽の運行を元に決められているのでグレゴリオ歴のような暦を太陽暦と呼びます。
そのようなわけで季節の移り変わり、とりわけ日本のそれなどは一切考慮されず、日本ではこれからいよいよ厳寒期に入る頃に元旦になってしまいます。

旧暦は月と太陽で決める

 それに対して中国・朝鮮半島・ベトナムそして明治維新以前の日本など漢字文化圏は太陰太陽暦と言われるシステムの旧暦を使ってきました。これは単純に言えば冬至から2回目の新月の日を元旦とする暦です。太陽と月の両方を起点とするので太陰太陽暦と呼ばれます。
なぜ月の運行が暦に使われたかと言うと、太陽と違って月はその運行によって毎日はっきりと目で見える形が変化するので、通信手段が未発達な時代は暦代わりに使うのに便利だったためです。そのため人類の暦の歴史は新月から次の新月までを一か月とする太陰暦から発達しました。旧暦の算出に月の運行が使われているのはその名残です。
しかし農業が発達して暦に農事歴としての機能が求められると、困ることが出てきました。
土を耕す時期や種を蒔く時期など農作業のサイクルの中でのスケジュールを知る農事暦として使うには同じ月日が同じ季節になる必要があります。そのためには太陽の運行に暦を合わせなければならないのですが、新月と新月の間を一か月とした場合の12か月分の日数は地球が太陽を一周する日数より11日少なくて、3年で一か月季節と遅れていく計算になります。9年も経つと三か月も季節が遅れて、4月なのに真冬ということになってしまいます。それで旧暦でも太陽の運行が計算の要素に加えられて、3年に1回十三か月の年を入れるの同じ月日がだいたい同じ季節になるように調整されました。

毎年変わる旧暦の元旦

 旧暦は太陽に加えて月の運行を基に計算するので、元旦は下表のように太陽だけで計算されているグレゴリオ暦の日付が変わります。
。 20日前後のばらつきがありますが1年で一番寒い冬のピークの時期に相当することがわかると思います。

2019年2月5日
2020年1月25日
2021年2月12日
2022年2月1日
2023年1月22日
2024年2月10日
2025年1月29日
2026年2月17日

一番寒い時期に行う旧暦の正月

これではグレゴリオ暦と大して変わらないじゃないか、こんな寒い時期になぜ春なんだと現代人は思うと思いますが、実はこれには古代の中国人が抱いていた自然観が反映されている陰陽思想が現れているのです。
陰陽思想の中には「陰極まれれば陽に転じる」というのがあって、これを平たく言えば物事はピークに達すれば、それまでと反対の方向に進むという考え方です。これに倣って彼らは一年で一番寒い時期になったことで、反転して万物は新しく春に向かって歩み始めると考え、それを祝うのが正月となったのです。
そして先に新しく万物が春に向かって歩み始める正月こそ、農事暦としての旧暦上において春に本格化する農作業の準備を一斉に始めるのにふさわしい時期と考えました。
新暦に変わった今でもそういう考えは残っていて、正月は「初詣」や「書初め」のように特に季節と関係ない農業以外のことでも新しいことを始めるのふさわしい時期とされています。

明治維新で旧暦を捨てた日本

 農事歴としての機能を有した旧暦ですが、日本では明治政府が近代化の一環として旧暦明治5年11月9日に同年12月3日をもって明治6年(1973年)1月1日にすると旧暦から欧米諸国の使っていたグレゴリオ歴にするとの詔勅が出しました。
一か月に満たない期間で突然暦を変更することになって当然当時の日本社会は混乱に陥ったのですが、中でも長い経験の積み重ねで農事暦として旧暦に従って農作業のスケジュールを決めていた農村社会は大きな打撃を受けました。
それでも明治政府は容赦せず伝統行事までグレゴリオ暦で行うように農村社会に強制し、それが今日の日本のグレゴリオ暦に合わせて行われる正月になりました。

旧暦を捨てなかった中国とその他の漢字文化圏の国々

 中国をはじめ他の漢字文化圏の国々も植民地化されて押し付けられたり、あるいは近代化の一環としてグレゴリオ暦が導入されるのですが、農事歴としての合理性があったことから旧暦も根強く使い続けられ、それとともに伝統行事も旧暦に従って行われ、その中でも旧暦の正月は一番盛大に祝われる行事であり続けました。
第二次世界大戦後、それらの国々は独立や社会主義革命を行い独自の近代化を行うようになりました。といっても基本モデルは欧米諸国なので、国家の運用はグレゴリオ暦は基本なのですが、それらの国々では明治政府とは違って旧暦の正月を公休日として公認するような姿勢を取りました。これは言い換えれば、欧米諸国からグレゴリオ暦が入ってくる前と同様に国が旧暦もきちんとメンテナンスしていくことを認めたのと同じことです。なぜかというと旧暦の正月が公休日である以上は国全体が共通した旧暦を定める必要があるからです。
実際そういう国の暦に関する公的機関である天文台では公式の旧暦の暦を出しているそうですし、今日は旧暦の何月何日か問い合わせれば教えてくれるそうです。
一方、日本の東京天文台は明治維新以来の国の方針通り現在でも旧暦は無視しており、問い合わせても答えてくれないそうです。書店に行くと旧暦の暦が売っていますが、公的なものではないことに注意する必要があります。

そして旧暦を無視できなくなっていく日本

 でも、そんな日本も明治維新以来無視し続けてきた旧暦を、無視できなくなりつつあります。それは中国や韓国など今日でも公的な旧暦が存在し続けている国々が経済的に大きく発展したためです。
それらの国々でも正月になると日本の新暦の正月と同様に昔から公休日に合わせて長期のまとまった休暇を取って帰省し家族と過ごすのが一般的ですが、経済的な発展を遂げるにつれて、帰省する代わりに海外旅行する人たちが増え、その旅行先の一つとして手近な日本が選ばれるようになったからです。
特に中国は一人当たりの所得はまだ日本に及びませんが全体の規模が大きいので「インバウンド経済」が流行語になったように経済的影響が無視できないものになっています。
このようにして明治維新とともに一度姿を消した旧暦の正月が、中国の経済的発展とともに私たちの日常に再びよみがえりつつあるのです。

ノロウィルスについて調べてみた

 これから冬が近づいてくるにつれてヘルスケアで気になるのがノロウィルスによるウィルス性食中毒です。激しい嘔吐や下痢や腹痛が特徴で、しかも一度発症すると広範囲に感染します。幸い重篤な脱水症状にはならないので、健康な成人ならばよく吐き下しのある風邪かなと思う程度の症状で済んでしまいますが、抵抗力の弱い高齢者が発症すると嘔吐物をのどにつまり命を奪うことも珍しくないので、介護施設での流行がニュースでもしばしば取り上げられます。
ノロウィルスによるウィルス性食中毒は発症すると直接治療する薬は存在しないので、吐き気や下痢を抑える対処療法的な薬を使いながら体力が回復して症状が治まるまで安静にしているしかありません。
でも、昭和の頃は食中毒といえば初夏が一般的だったことを記憶されている方も多いと思います。では、なぜノロウィルスによるウィルス性食中毒症は冬に流行するのでしょうか?

牡蠣を通じて見るノロウィルスの感染経路

 ウィルス性食中毒の発生源として有名なのは何と言っても牡蠣(かき)です。冬は牡蠣が美味しい季節で、生食も盛んですが、牡蠣は1日200リットルと大量の海水を飲みこんで、水中のプランクトンを取り込み捕食するため、下水道から放出された下水の中の病原体となるウィルスを取り込んでしまいます。
取り込まれたウィルスは牡蠣の内臓に蓄積されます。一度牡蠣の内臓に蓄積されたウィルスは、加熱殺菌しないで生食する限り、ただ洗うだけでは除菌できません。
もちろん従来の細菌性食中毒の原因となる細菌も患者の排泄物を通じて下水に混入する可能性もあるわけですが、その病原体となる細菌は水の中を長時間生きることができず、しかも下水道では放出する前に必ず滅菌処理を行うので、病原体となる細菌は死滅します。これが下水道が普及した先進国で細菌性食中毒が激減した大きな理由です。
しかしノロウィルスの場合は水中でも長時間生きることができ、しかも経口でごく少量で発症する特性を持っています。
どれくらい少量で発症するかというと、1万分の3mm程度のノロウィルスが、たった10個~100個程度入っただけで発症します。シャープペンシルの先ほどの感染した患者の便で10万人発症するとの計算もあります。そのくらい少量で発症するため、病原体となるウィルスを下水道で完璧に消毒できる技術は現在存在しません。
そのため牡蠣の生食でウィルス性食中毒を完全に防ぐことは不可能と言ってよいです。生食用と称して販売されている牡蠣では、下水の流入のチェックなど厳密な管理と監視の元に養殖されていますが、それでも100%安全ではありません。だから、食品を扱う企業の中にも、社員に牡蠣の生食を社則で禁止しているところもあるほどです。

人から人への感染

 ここまでは食物から人への感染ルートを説明してきましたが、ノロウィルスの場合は食物の中では繁殖できません。ここがウィルスと細菌の大きな違いで、赤痢やO157のような細菌性食中毒の原因となる細菌は食物の中で繁殖して流行するのですが、人間に感染するウィルスは人間の力を借りてはじめて繁殖できるのです。だからノロウィルスは人間の体内でしか繁殖できません。
それにいくら牡蠣がおいしいシーズンの冬でも、牡蠣を生食をすることは日常限られた場合だと思います。
だからウィルス性食中毒は、その流行時においても食物から直接感染する患者はごく一部です。感染経路から見れば最初の感染者こそ食物由来ですが、一度発症すれば、それ以降は人での体内での繁殖の結果、吐物や糞便を通じて体外に大量にウィルスが排出され、それ経由で別の人へ広がっていくケースの方が感染経路としては圧倒的に多いのです。
でも、病院でもない限り感染源になりそうな他人の吐物や糞便を目にすることなどありえないから、自分は感染しないと思いがちですが、実はそうではありません。
先に書いたようにこれらのウィルスはごく少量でも発症し、しかも空気中の乾燥状態の中でも長時間生きるので、わずかな飛沫でも微粒子となって空気に乗って感染します。
たとえばホテルの宿泊客が発症し症状が重くて床の上に嘔吐したために、それがもとでホテル全体に発症者が出たという事例が報告されています。嘔吐物が空気中に飛び散ったために経口で他の宿泊客に感染したのですね。
ちなみに微粒子上になったノロウィルスは、インフルエンザウィルスと同様に気温と湿度が低いほど空気中での生存時間が長くなり、これがウィルス食中毒が冬に流行する理由の一つになっています。

人から人への感染 トイレを通じて

 ウィルス性食中毒の感染源で最も有力なのがトイレで、特に危険なのが便座です。
発症すると体内で増殖したノロウィルスは水状便で体外に排出されます。しかも、下痢の症状が治まっても、しばらくウィルスは体内で増殖し、便を通じて排出され続けます。中には感染しても発症せずに体内で増殖して便を通じて排出される例も多くあるそうです。そうして排出されたウィルスは飛沫となって便座に付着します、
また吐き気を催した場合もまずトイレの便器で嘔吐することになると思いますが、その際の吐物にもウィルスが含まれていて、その飛沫が便座についてしまいます。
そんな便座に座ることで直接おしりの部分に触れて、そこをさわったりフタや便座の上げ下げなど指で何かと接触することが多いです。また、直接指で触れたりしなくても、その指が触れたドアノブや水道の蛇口を通して指に付着し、なに気ない動作を通じて口へと運ばれて行き、発症に至ります。

予防のためにはまず手を洗う

 ノロウィルスのようなウィルス性食中毒を防ぐには、まず外出先から帰った後はもちろん自宅のトイレを使った後でもよく時間をかけてハンドソープをつけて手を洗うことが一番です。手を洗うこと自体やハンドソープは効果は殺菌というよりも手に付着した菌を落とすことにあるようです。
ただ、トイレの後もトイレットペーパーを使うため指先だけ洗えばいいと思いがちですが、本当に注意しなければならないのは、指の付け根や手のひら、指の腹の部分、手の甲、指の背の部分、指の間やつけ根のところもよく注意して洗わなければいけません。これらの部分はトイレットペーパーを使う際に、無意識におしりに触れてしまうからです。おしりは先にふれたように便座に座ることで、ウィルスの含まれた微粒子が付く可能性が強いのです。だからこれらの部分も注意して時間をかけて洗ってください。

汚物の取り扱いとハイターでの消毒

 ノロウィルスで一番危険なのは、感染者の糞便や吐物で汚染された物の取り扱いです。これらは大量にウィルスが含まれているため、そのまま洗濯機に投げ込むような不用意に取り扱いを行うとあっという間に感染が拡大します。一番いいのは廃棄することですが、それもできない場合は消毒します。ただ消毒によく使われる濃縮アルコールはノロウィルスには無効で次亜塩素酸ナトリウムを使う必要があります。
次亜塩素酸ナトリウムは一般に販売されているハイターのような塩素系漂白剤として入手できますが、同じように売られているワイドハイターのような酵素系漂白剤はノロウィルスには無効なので注意してください。塩素系漂白剤を市販の漂白剤(塩素濃度約5%)を250倍に希釈してノロウィルスの対策の消毒剤を作ることができます( 例:5Lの水に漂白剤を20ml入れる)。そしてこの消毒液に浸すことでノロウィルスの消毒ができます。なお、その際、注意するのは消毒に使った道具を通じて感染することもあるので、破棄するか消毒してください。また換気を十分に行ってください。