前の記事でクリスマスの12月25日は本当にイエスキリストの誕生日かどうかわからないという話を書きましたが、日本人にとってクリスマスと言えばまず「サンタクロース」でしょう。
はキリストの誕生日になるとどうして「サンタクロース」はプレゼントを持ってくるのでしょうか。そもそも赤い服のおじいさんの「サンタクロース」っていつ何をしたどういう人なのでしょうか? そういうことについて意外とまとまって読める文章は少ないので、今回は「サンタクロース」について書いてみます。
聖人って何?
サンタクロースはミラノのニコラウス(270年-345年)というキリスト教で言うところの聖人に列せられた人物がモデルになっています。
この聖人という考え方が欧米のキリスト教徒にとってはとても重要な概念です。
もともとキリスト教は古代ユダヤ人の信仰していたユダヤ教の信仰が元になってできたものです。ユダヤ教はエホバといわれる唯一絶対の神のみを信仰する宗教でしたが、ユダヤ教ではこの唯一絶対の神のみを信仰の対象にすること、そして、仏像のようにそのエホバの像を作って信仰の対象にすることを厳しく禁じたのが大きな特徴でした。
しかし、このユダヤ教を信仰していたユダヤ人の中からイエスという宗教的リーダーが現れ、彼の弟子たちがイエスこそ神が人々を救うために神が人の形をとって現た者と主張することで今日のキリスト教がユダヤ教から分かれ世界に広がっていったのです。ちなみにこのキリスト教のもととなったユダヤ教も今日まで残っています。
でも、実際にキリスト教が広まっていく途中でその教義をきちんと理解して信者になった人はごく僅かでした。一般の民衆は領主や国王によって政治的事情で強制的にキリスト教に改宗させたというのがほとんどでした(どの宗教でも同じようなものですが)。
当時のヨーロッパではキリスト教の国教化に消極的な国に対して、すでに国教化した周辺の国々の連合軍が十字軍という名称で異教徒の殲滅を口実に侵攻してくるのも珍しくなかったので、改宗させるのも命がけだったのです。
キリスト教には改宗の儀式として水に体を浸す洗礼というのがありますが、役人や領主が無理やり一般の人たちを川辺に連れ出し司祭がお祈りする中、川に突き落として「はい、洗礼しました、今日からあなたはキリスト教徒です!」というのもよくあったそうです。
そうしてキリスト教に無理やり改宗させられても、古代から中世にかけてのヨーロッパでは文字を理解していた人は教会関係か、一部の上流階級のみで、一国の王でさえも文字が読めないということが珍しくありませんでした。
今日フランス・ドイツ・イタリアに当たる地域を征服し現代ヨーロッパの元を築いたとして世界史の教科書にも必ず出てくるカール大帝も字が読めなくて臣下に字を読んでもらっていたそうです。
しかも字を知っていても聖書は自国語で書かれていませんでした。ルターが宗教改革の一環として14世紀にドイツ語に翻訳するまでラテン語という古代ローマで使われた言語か古の代ギリシャ語で書かれており、祈祷もラテン語で行われていたので、そういう古代の言語を知っているごく限られた人しかキリスト教の教義を知らなかったのです。
そんなふうによく知らないキリスト教の信仰を押し付けられた古代~中世のヨーロッパの人々は大変に困りました。
キリスト教以前のヨーロッパの人々には日本人の八百万の神のようにいろいろなことにいろいろな神様がいて、人々の日常の悩みに応えてくれていました。
たとえば日本でもよく知られているギリシャ神話では主神ゼウスをはじめ海の神ポセイドンとか豊穣の女神デメテールとか酒の神バッカスとかいろいろな分野にいろいろな神様がいました。
近代以前は医学をはじめ科学が未発達な分だけ、今日の私たちが考える以上にこうした神さまに頼る局面は多かったわけです。
しかしキリスト教の唯一絶対の神はイエスさまを遣わして人々を天国に導いてくれますが、病気になったとか、今年は豊作になってほしいとか、商売がうまく行くようにとか、両想いになれますようにとか、そういった日常生活で生まれる細々とした悩みにはさっぱり答えてくれません。
そこで妥協として生み出されたのが聖人という考えです。聖者というのは殉教したり様々な困難に耐えて信仰上の模範になったと教会が認めた人のことですが、さらにある特定の聖人が個人や地域や団体を守っている守護聖人という考え方がキリスト教にはあり、これが日常の悩み事を聞いてくれる信仰の対象になってきました。
たとえば日本でも有名な聖人の一人に聖ヴァレンティヌスがいます。頭の「聖」は日本語で聖人であることを示すものですが、察しの良い方はすでにお分かりの通りバレンタインこと聖ヴァレンティヌスは恋人たちを守る守護聖人に加えられています。 そしてヴァレンティヌスが亡くなった毎年2月14日が皆さんも大好きなその聖人の祭日セントバレンタインデーになります。
その他にもいろいろな職業にもいろいろな聖人がいます。目についたところをWikipediaから上げてみます。
ジャンヌ・ダルク | 軍人 |
シチリアのアガタ | 看護婦 |
エウスタキウス | 漁師 |
セビリアのイシドロス | コンピュータプログラマー |
ヌルシアのベネディクトゥス | 農夫 |
聖アントニウス | 養豚者、ドライバー |
こうした聖人はそれぞれ由来となっている話が必ずあるので興味があれば調べてみるとよいと思います
あと国や地域を守る聖人というのも存在します。
ボニファティウス | ドイツ |
ジャンヌ・ダルク | フランス |
ゲオルギウス | イングランド・モスクワ・グルジア |
ヤコブ | スペイン |
ベネディクトゥス | ヨーロッパ全体 |
聖パウロ | ロンドン・ローマ・マルタ |
クリストフォロス | ライン川 |
国や都市どころか川やヨーロッパ全体といったものまで、聖人がいて日本の八百万の神並みです。
もちろん日本も守護聖人がいて、それが日本人にキリスト教をもたらしたことで日本史の教科書にも必ず出てくるフランシスコ・ザビエルです。他にもザビエルは オーストラリア、中国、ニュージーランド、東インド諸島、ボルネオといったザビエルが布教した地域の聖人にもなっています。中には守護聖人そのものが国名や都市の名前になっているケースもあります。
サンフランシスコ | アメリカ合衆国 | 聖フランシスコ |
セントルイス | アメリカ合衆国 | 聖王ルイ |
サンタモニカ | アメリカ合衆国 | 聖モニカ |
サンクトペテルブルグ | ロシア | 聖ペテロ |
サンパウロ | ブラジル | 聖パウロ |
欧米の地名で「セント」「セイント」「サン」とつく地名は守護聖人にちなんで付けられているケースがほとんどです。特に人工的に作られた都市や大航海時代に発見された島は多いですね。
あと需要なことと言えばキリスト教徒は聖人の祝日と誕生日が一致したということで個人の名前も聖人にちなんで付けられることが多いです。欧米の人の名前でマリアとかジョンとかポールとか一定の傾向があることはそのためです。
ただ、聖人由来の名前はそれぞれの言語で言いやすいように改められていますが、元になっているラテン語の名前があります。
ラテン語 | ヨハネ | カタリナ | パウロ | マリア |
英語 | ジョン | キャサリン | ポール | メアリー |
フランス語 | ジャン | カトリーヌ | ポール | マリー |
ドイツ語 | ヨハネス | カタリナ | ポール | マリー |
イタリア語 | ジョバンニ | カタリナ | パウロ | マリーア |
ロシア語 | イワン | エカテリーナ | パーヴェル | マリア |
スペイン語 | フアン | カタリナ | パブロ | マリア |
この表を覚えるだけで西洋史がかなり苦痛でなくなります。
ミラのニコラウスからサンタクロースへ
ミラのニコラウスからサンタクロースへでは、サンタクロースのもとになったミラのニコラウスはどういう聖人でしょうか。
彼は今はトルコになっている小アジアの出身で、学識で名高く異端からキリスト教を守った功績で教会から聖人に認定されたわけですが、同時に苦しんでいる弱い人々を助けた逸話が多数残されていることでも有名な聖人です。
たとえば、あるきっかけでニコラウスは、貧しさのあまり三人の娘を身売りしなければならなくなる家族の存在を知りました。そこでニコラウスは真夜中にこっそりその家を訪れ、窓から金貨を投げ入れました。
このとき暖炉には靴下が下げられていており、金貨はその靴下の中に入りました。この金貨のおかげで三人の娘は無事身売りの運命を免れて結婚できたそうです。この話がクリスマスに靴下を下げる起源になっています。また子供を誘拐して商品にする肉屋に行き、7年塩漬けにされた7人の子供を復活させ助けたという話から子供の守護聖人にされています。
これらの逸話からミラのニコラウスの祭日つまり亡くなった日である12月6日が子供たちにプレゼントする日となったそうです。
その習慣は今でもロシアや東欧など正教会の国々では残っていて、12月6日に子供たちにプレゼントがあるそうです。また、ミラのニコラウスは暴風雨を沈め、海に落ちて死んだ船乗りを復活させたという言い伝えから船乗りの聖人でもあるため、彼の祝日を祝う習慣は海運が盛んなオランダやベルギーのフランデレン地方でも盛んで、この二つの国々ではなんとクリスマスである12月25日とミラのニコラウスの祝日の12月6日の両方に子供たちはプレゼントをもらえるそうです。
実は今日のサンタクロースの起源は、この、オランダのミラのニコラウスを盛大に祝う習慣が起源になっています。
かつてオランダは今日のニューヨークのマンハッタン島を植民地として支配していました。その後、1664年の英蘭戦争でイギリスの支配下になり、その後アメリカ合衆国として独立しても、オランダ植民地時代に移住したオランダ系移民の子孫は繁栄し続け、やがてその中から大統領を輩出したルーズベルト家のようなアメリカの名家も生まれました。
そんなオランダ系の人たちは海を渡ってきたこともあって、アメリカでも船乗りの聖人であるミラのニコラウスの記念日を盛大に祝う習慣もそのまま続き、他の民族に広まっていったのです。そのため英語のセイント・ニコラス(聖ニコラス)ではなく、オランダ語で同じ意味のシンタ・クラースがミラのニコラウスのアメリカでの名称になっていき、それが訛ってサンタ・クロースになったのです。その名称はコカ・コーラがコマーシャルで使うようになってから世界に広まっていき、やがてクリスマスの伝統のない日本でもサンタクロースと呼ばれるようになったわけです。
でも、ここまで読んで一つ疑問に感じたことはありませんか? ミラのニコラウスがサンタクロースのもとになったことは分かった、でもミラのニコラウスは今でいうところのトルコの出身なのに、どうしてトナカイにひかれたソリに乗ってやってくるの?
実は名前の起源こそミラのニコラウスになっていますが、キャラクタの元はゲルマンやスラブやケルトなどヨーロッパ北方の諸民族がキリスト教の伝来以前に信じていた神の名残なのです。これらの民族はキリスト教の伝来以前から共通して毎年12月25日付近の冬至を祝う祭りを行う習慣を持っていましたが、そのとき北から寒気をつれてやってきて、よい子にプレゼントする気前のいい白髪の老人の姿の神さまが共通して存在していたのです。それには、たとえば北欧ならばノーム、イギリスならばファーザークリスマス。ロシアならばジェフマロースと民族ごとにいろいろな名前がついています。その白髪の老人の神さまがキリスト教伝来後に、子供を守る聖人であるミラのニコラウスと融合して、サンタクロースと名を変えて世界に広まっていったのです。