よみがえる旧暦のお正月

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正月の年賀状の賀詞というと「新春のお慶びを申し上げます」「謹んで初春のお慶びを申し上げます」「謹んで新春のご祝詞を申し上げます」といった「新春」が入ったものが多いですね。
では、なぜ正月の賀詞に「新春」が入るのでしょうか。少なくとも日本ではお正月になる1月の上旬といえばまだ、春どころか冬の寒さもまだまだ本格化していく最中のところで、それでなぜ春なのか疑問に感じたことは誰もが一度はあると思います。
その理由を一言で言えば明治維新以前に日本人が使っていた旧暦と、維新後から今日に至るまで日本人が使っている新暦ことグレゴリオ暦とのズレです。元旦を祝う風習は維新以前からあったものですが、グレゴリオ暦に合わせて行うために実際の季節の移り変わりとは関係ないものになったのです。

グレゴリオ暦

 グレゴリオ暦はもともとはキリスト教で一番重要な行事であるイースターの日取りを決めることが目的として決められたものです。イースターは最近、日本でも春を祝う行事として祝われるようになってきましたが、日付が固定でなく春分の日から二回目の満月の日がイースターになります。この計算の起点になる春分の日が毎年三月二十一日ごろになるように定められたのがグレゴリオ暦です。ちなみに春分の日つまり太陽の運行を元に決められているのでグレゴリオ歴のような暦を太陽暦と呼びます。
そのようなわけで季節の移り変わり、とりわけ日本のそれなどは一切考慮されず、日本ではこれからいよいよ厳寒期に入る頃に元旦になってしまいます。

旧暦は月と太陽で決める

 それに対して中国・朝鮮半島・ベトナムそして明治維新以前の日本など漢字文化圏は太陰太陽暦と言われるシステムの旧暦を使ってきました。これは単純に言えば冬至から2回目の新月の日を元旦とする暦です。太陽と月の両方を起点とするので太陰太陽暦と呼ばれます。
なぜ月の運行が暦に使われたかと言うと、太陽と違って月はその運行によって毎日はっきりと目で見える形が変化するので、通信手段が未発達な時代は暦代わりに使うのに便利だったためです。そのため人類の暦の歴史は新月から次の新月までを一か月とする太陰暦から発達しました。旧暦の算出に月の運行が使われているのはその名残です。
しかし農業が発達して暦に農事歴としての機能が求められると、困ることが出てきました。
土を耕す時期や種を蒔く時期など農作業のサイクルの中でのスケジュールを知る農事暦として使うには同じ月日が同じ季節になる必要があります。そのためには太陽の運行に暦を合わせなければならないのですが、新月と新月の間を一か月とした場合の12か月分の日数は地球が太陽を一周する日数より11日少なくて、3年で一か月季節と遅れていく計算になります。9年も経つと三か月も季節が遅れて、4月なのに真冬ということになってしまいます。それで旧暦でも太陽の運行が計算の要素に加えられて、3年に1回十三か月の年を入れるの同じ月日がだいたい同じ季節になるように調整されました。

毎年変わる旧暦の元旦

 旧暦は太陽に加えて月の運行を基に計算するので、元旦は下表のように太陽だけで計算されているグレゴリオ暦の日付が変わります。
。 20日前後のばらつきがありますが1年で一番寒い冬のピークの時期に相当することがわかると思います。

2019年2月5日
2020年1月25日
2021年2月12日
2022年2月1日
2023年1月22日
2024年2月10日
2025年1月29日
2026年2月17日

一番寒い時期に行う旧暦の正月

これではグレゴリオ暦と大して変わらないじゃないか、こんな寒い時期になぜ春なんだと現代人は思うと思いますが、実はこれには古代の中国人が抱いていた自然観が反映されている陰陽思想が現れているのです。
陰陽思想の中には「陰極まれれば陽に転じる」というのがあって、これを平たく言えば物事はピークに達すれば、それまでと反対の方向に進むという考え方です。これに倣って彼らは一年で一番寒い時期になったことで、反転して万物は新しく春に向かって歩み始めると考え、それを祝うのが正月となったのです。
そして先に新しく万物が春に向かって歩み始める正月こそ、農事暦としての旧暦上において春に本格化する農作業の準備を一斉に始めるのにふさわしい時期と考えました。
新暦に変わった今でもそういう考えは残っていて、正月は「初詣」や「書初め」のように特に季節と関係ない農業以外のことでも新しいことを始めるのふさわしい時期とされています。

明治維新で旧暦を捨てた日本

 農事歴としての機能を有した旧暦ですが、日本では明治政府が近代化の一環として旧暦明治5年11月9日に同年12月3日をもって明治6年(1973年)1月1日にすると旧暦から欧米諸国の使っていたグレゴリオ歴にするとの詔勅が出しました。
一か月に満たない期間で突然暦を変更することになって当然当時の日本社会は混乱に陥ったのですが、中でも長い経験の積み重ねで農事暦として旧暦に従って農作業のスケジュールを決めていた農村社会は大きな打撃を受けました。
それでも明治政府は容赦せず伝統行事までグレゴリオ暦で行うように農村社会に強制し、それが今日の日本のグレゴリオ暦に合わせて行われる正月になりました。

旧暦を捨てなかった中国とその他の漢字文化圏の国々

 中国をはじめ他の漢字文化圏の国々も植民地化されて押し付けられたり、あるいは近代化の一環としてグレゴリオ暦が導入されるのですが、農事歴としての合理性があったことから旧暦も根強く使い続けられ、それとともに伝統行事も旧暦に従って行われ、その中でも旧暦の正月は一番盛大に祝われる行事であり続けました。
第二次世界大戦後、それらの国々は独立や社会主義革命を行い独自の近代化を行うようになりました。といっても基本モデルは欧米諸国なので、国家の運用はグレゴリオ暦は基本なのですが、それらの国々では明治政府とは違って旧暦の正月を公休日として公認するような姿勢を取りました。これは言い換えれば、欧米諸国からグレゴリオ暦が入ってくる前と同様に国が旧暦もきちんとメンテナンスしていくことを認めたのと同じことです。なぜかというと旧暦の正月が公休日である以上は国全体が共通した旧暦を定める必要があるからです。
実際そういう国の暦に関する公的機関である天文台では公式の旧暦の暦を出しているそうですし、今日は旧暦の何月何日か問い合わせれば教えてくれるそうです。
一方、日本の東京天文台は明治維新以来の国の方針通り現在でも旧暦は無視しており、問い合わせても答えてくれないそうです。書店に行くと旧暦の暦が売っていますが、公的なものではないことに注意する必要があります。

そして旧暦を無視できなくなっていく日本

 でも、そんな日本も明治維新以来無視し続けてきた旧暦を、無視できなくなりつつあります。それは中国や韓国など今日でも公的な旧暦が存在し続けている国々が経済的に大きく発展したためです。
それらの国々でも正月になると日本の新暦の正月と同様に昔から公休日に合わせて長期のまとまった休暇を取って帰省し家族と過ごすのが一般的ですが、経済的な発展を遂げるにつれて、帰省する代わりに海外旅行する人たちが増え、その旅行先の一つとして手近な日本が選ばれるようになったからです。
特に中国は一人当たりの所得はまだ日本に及びませんが全体の規模が大きいので「インバウンド経済」が流行語になったように経済的影響が無視できないものになっています。
このようにして明治維新とともに一度姿を消した旧暦の正月が、中国の経済的発展とともに私たちの日常に再びよみがえりつつあるのです。
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